先日義兄に赤ちゃんが生まれたので夫が週末顔を見に行くことになりました。
わたしは熟考の末、前回同様行かないことにしたのですが義兄に「なんで?赤ちゃん見たくないの?」と言われてしまいました。アメリカ人はこのあたりとてもストレートなので、日本みたいに「なんで来ないんだ」と思っていても本人には言わない、ということはなく、遠回しにじわじわと責めてくるということもありません。
家族なのに、うちの赤ちゃん可愛いのに(というか赤ちゃんはどの子でも皆可愛いに決まっている)、なんで遠路はるばる見に来ないんだ!という疑問はわかる。わかりすぎるくらいわかります。普通はここで何もかも投げ出してすぐにでも駆けつけるのが人情でしょう。
それでも行かない、と頑として言い張る東方の日出ずる国から来たヨメが「なぜ行きたくないのか」について1㎜でいいから想いを馳せて欲しいと思うのは日本人的発想なのでしょうか。
そもそも義理家族との間にあった距離はある日を境に大きく開いたのではなくて、8年かけてじわじわと広がっていったものなのです。それでも年に一度くらい顔を出さないといけないときは嘘の笑顔を貼り付けて頑張ってきたのですが、さすがにこうしょっちゅう会いに行くとなると悪いけどわたしは行かないわ、ってなるもんです(※夫は先月も実家に帰っている)。
行きたくない理由はいくつかあって、
1.義母に会いたくない(少し前にもう二度と義母には心を開くまい、と思った事件がありそれ以来連絡を絶っている)
2.聞けばこの週末、昔一緒に夫と義兄と一緒にバンドをやっていた友達が訪ねてくるので彼らは一緒に楽器を弾く予定らしい。しかも彼らは男性の常として集まると大きな音で音楽をかけ、お酒を飲む。わたしは大きな音も酔っ払いも大の苦手である。
じゃあ別室にいればいいじゃないかと言われそうだが、そうなると義母か義兄のヨメと一緒に過ごすことになる。それも避けたい(お察しの通りわたしは彼女たちのことも苦手である)。
3.義兄の住むヒューストンは我が家から片道車で7時間近く離れたところにあり、行くとなれば弾丸で2泊3日の旅となる。長距離の旅は自分が運転しなくてもめっちゃ疲れるのでなるべく避けたい。
4.2泊3日家を空けるとなると誰かにお願いしてうさぎにエサをあげにきてもらわないといけない。夫の同僚に頼めばやってもらえるとは思うけど、それも気が重い。
と、ここまで書いて思ったのだけどわたしは「行きたくない理由」が圧倒的に「行きたい理由」を上回ってしまうタイプの人間なんですね。「行きたい理由」はすごく単純で「夫を喜ばせたい」と「義兄を喜ばせたい」の2つしかないんでした。つまり自分が行きたい、とは微塵も思っていない、と。
わたしは割と義兄のことは嫌いではないというか、むしろ好きな方なので出来れば行って喜ばせてあげたいという気持ち自体はあるのですが。
リストを見ていて、うわぁーこれはとってもHSPっぽいなーと思いました。
大きな音がする場所が苦手、一度苦手だと思った相手は徹底的に避ける、人の多い場所へ行くと疲れる、などなど。まだ起こってもいない将来のシナリオについて複数の可能性を考えて先回りして心配してしまうあたりもそうですね。
義母がヒューストンにいる限り、わたしは当分テキサスには近寄らないと思うし行きたいとも思わないでしょう。百歩譲って義兄に会いに行ったとしても、義母との接触は全力で避けるのではないかと思います。
わたしは義母には嫌われてもいいともう腹を括ったので相手がどう思おうと何も考えないことにしているけれど、義兄の気持ちは傷つけたくないし嫌われたくないと思っているからこうやってぐるぐるぐるぐる考えてしまうのかもしれません。
夫には「一度結論を出したらそれに従って、その結論が正しかったかについて延々と考えるのはよせ」「大体なんでも君は難しく考えすぎるんだ」と言われるのですが、それもわたしの性質なんでいきなりやめろと言われても無理があります。
HSPの特徴としてD(深く処理する)、O(過剰に刺激を受けやすい)、E(感情の反応が強く、共感力が高い)、S(ささいな刺激を感知する)というのがあります。
この性質のひとつ「深く処理する」=Dというのはストレスにもなり得るけれど、逆に考えれば物事について深く考察することができるので悪いことばかりというわけでもなさそうです。
もうちょっとうまく立ち回れたらいいのにな、と思って傷つくこともいまだにたくさんありますが、もういいかげんいい年なので自分と上手い事折り合いをつけてやっていきたいもんです。
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