わたしにとって、去年と一昨年は割ときつい年でした。
ちょっと真面目に人生について考えた結果、何か人の役に立つことがしたいと思い、アメリカのエアフォースに入隊して一昨年ブートキャンプへ行ったんですよ。
なんとか卒業は出来たのですが、卒業間近で甲状腺に異常があると言われ、卒業後に除隊になってしまって。
ところが帰宅して病院へ行ってみたら、甲状腺の異常は急性のもので恒常性のものではなく、手術も投薬も必要なくいたって健康だと言われました。
つまりは誤診だったわけですが、それを訴えたところで結局除隊という結果が変わることはありませんでした。
もう年齢も40近かったし、空軍だってこんなアラフォー女性を雇うよりは18歳の前途ある健康な若者を雇った方がいいに決まっているし、何より急性でも甲状腺炎を発症したということは自分には多分空軍という場所は合っていなかったということなんだろう・・・。
と自分を納得させたのですが、わたしにしてはものすごく割と頑張った方だったので結構な挫折感がありました。
で、年齢的なこともあるし、キャンプから帰宅してから最後の望みをかけて夫とふたりで不妊治療をものすごく真面目に頑張りました。
毎月何度も何度もクリニックへ行き、ホルモン注射も打ち、保険がきかないので全て実費で何度も診察を受けに2時間先の町まで通いました。
でもこれもうまくいきませんでした。
ちょうど同時期に義兄夫婦が苦労もせずにぽんと子供を授かり、早く赤ちゃん見に来てよ!可愛いよ!と言われてそりゃもうみじめでした。
(※後日甥っ子の顔はちゃんと見に行きました。そして当たり前ですがめちゃめちゃ可愛かったです。オバサンはメロメロです)
なんかね、人が何の努力もしないでやすやすと手に入れているものを、自分がこんなに苦労して、努力して、望んで、頑張って、力を振り絞っているのにそれでも手に入れらないなんて、なんて人生っていうのは不公平なんだと思ってね。
そういう打ちひしがれているときって、自己評価がものすごく低くなります。
YouTubeをやっていても「どうせわたしなんかが作るコンテンツを見たい人なんて誰もいない」と思ってしまってね。
そういう時に限ってなぜか集中するきついコメントは精神的にこたえるし、他の人が作るコンテンツがなんとキラキラして見えることか。
あぁ、もういいや。頑張るのをやめよう。
元気が出るまで、自分のことをまた好きだと思えるまでしばらくお休みしよう。
そう思って、しばらく家でのんびり過ごすことにしました。
わたしね、自分で言うのもなんですが子供の頃から割と成績もよくて、あんまり何かでとっても苦労したことってなかったのです。
嫌いな教科はいつまでたっても点数が上がらなかったけど、英語と国語だけは得意で、大学もそれで外国語大学へ行きました。
自分でこれをやろう!と決めたことはたいてい努力しただけ形になったし、ひとりで世界一周だってしたし、素敵な配偶者にも巡り合えたし、ある日突然始めたマラソンだって42.195km、ちゃんと止まらず走り切ることも出来ました。
自分はやれば出来る子!と思って今までやってきたので、空軍に振られ、子供も授からなかった時にものすごい挫折感に襲われたんですよね。
自分の力でどんなに頑張って努力しても、どうにもならないことがある。
でも、それを何の努力もしないでやすやすと手に入れている人があんなにたくさんいるのに、自分だけどうして?って思って、ものすごく悲しかった。
で、こないだ家でひとりで映画「ラ・ラ・ランド」を見ている途中に、唐突に「あっ」と自分の中で何かがクリックしたというか、腑に落ちる瞬間があったのです。
わたしは今まで、結果だけを見て「自分はこんなに努力したのに、〇〇が手に入らなかった、わたしダメな子」といって打ちひしがれていたけれど、よく考えたら自分で自分に「でもあなたは少なくともあきらめずに最後まで戦ったよ、偉かったよ」と言ってあげていなかったのではないか?と。
だって、世の中には最初から戦わず、努力もせず、どうせダメだからとやる前からあきらめてしまう人ってすごく多いと思うのです。
除隊になっても、わたしが毎日毎日空軍でトレーニングに励んだという事実は変わらないし、そもそも空軍は入るだけでも足切りが厳しく、その門をくぐりぬけ、途中で投げ出さず(途中でドロップアウトした子もいた)、ちゃんと卒業できたというだけでそれはすごいことじゃないかと。
子供のことも、最初から努力もしないで、後で「あの時頑張っていたらもしかして子供に恵まれていたのかなぁ」と残りの人生思い続けるよりは、「あの時全力で頑張ったからもう悔いはない、やれることはやった」とこれから思って生きていけるだけいいじゃないか。
YouTubeだって、人の作ったコンテンツにあーだこーだ言う人に限って、何かをゼロから作って人目にさらすことの怖さを多分知らないんでしょう。
少なくとも自分は、ちゃんと自分の顔を出して、自分の顔に責任を持って自分をさらけ出しているじゃないか、それだけで自分エライ!ってほめてあげてもいいじゃんって思ったのです。
世の中、何かと結果だけが全てだと言われがちだし思われがちです。
でもね、うまくいってもそうじゃなくても、あきらめずに自分のベストを尽くした結果であれば、それは結果がどうであれ、他人がどう言おうと、自分で自分を誇っていいと思う。
「ラ・ラ・ランド」の最後の方でね、こういうやり取りがありました。
セブがバーで人と挨拶して元気?と訊くと相手が"Good enough(悪くないよ)"と応えたのに対し、
"Good enough is great." と返事をするというシーン。
Good enough is GREAT.
これでいいや、と思えることって実は素晴らしいことなんだなぁ、となぜかそこでストンと腑に落ちて、わたしは自分の思った結果を出せなかった自分を許そう、とそこで初めて思うことができたのでした。
わたしには素敵な夫もいるし、うさぎもいるし、住むところも食べ物もあるし、健康だし、それだけで充分すぎるぐらい充分です。
これからは、自分が出来なかったことにフォーカスするのではなく、新しい目標を見つけて、またそれに向かってコツコツとやっていけばそれでいいのかなと思っています。
結局のところ、人生なんて旅と一緒で、どこへ行くのかではなくて、どんな旅をしたのか、その過程が大事なんだしね。
願わくば、その旅が自分にとっても、知らない誰かにとっても楽しいものでありますように。
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