今日は妬みについての話をしようと思います。
わたしは非常に平凡な人間で、平凡な結婚をし、日々平凡な日々を静かにのほほんと暮らしてそれで割と毎日幸せでして
自分で言うのもなんだけど、わたしは毎日自分はものすごく恵まれているなーと思いながら暮らしています。
親に五体満足で生んでもらったし、教育もしてもらったし、素敵な伴侶にも巡り合えたし、健康そのものだし、おかげさまで食べるのにもあんまり困ってません。
このご時世にけっこうなことでありがたい限りです。
SNSで受け取るメッセージのほとんどはポジティブなものが多いとはいえ、顔を出してそんな平凡な生活をさらしているせいかあれこれ言われることもあります。
わたしが平凡にのほほんと暮らしているのが人の気にさわるんだなぁ、と落ち込んだりしたこともありましたが、最近こう思うようになりました。
人に妬まれるというのは、ラッキーなことなのだと。
人が他人に対して妬みの感情を抱く時、大抵は「自分には〇〇がないのにあの人は持っている、妬ましい!あんなに楽をして自分の欲しいものを手に入れているなんて!ずるい!」という気持ちになるんだろうと思います。
年上世代の人が「自分たちの時はこうだったのに、最近の若い子は楽を覚えてダメね!」とかいうのと多分それは似ています。
自分が苦労してやってきたんだから、お前も苦労しろ!というあの感じ。
わたしは不妊治療をずいぶん長くしていたこともあり、全然努力しないでぽんぽんと子宝に恵まれる人を見てずるい、不公平だと妬んでいた経験があるのでわかります。
でも、妬みの感情って自分が「持っていないこと」にフォーカスしているからネガティブなものだし、自分に幸せを運んできてはくれないよなーと思うようになり、すっぱりと諦めたら気持ちがすごく楽になりました。
ないものを数えるより、持っているものを数えた方がハッピーだからです。
最近どこかで読んだか見聞きしたかなのですが、
妬む側が持っていないもの(お金、時間、美貌、配偶者、子供など)にフォーカスすればするほど、妬まれる側には「持っているもの」がどんどん増えていくんだそうです。
量子力学かなんかだったかな?
そんなアホな、と思われるかもしれませんが(;^_^A
ということは、他人に「あの人は努力もしないでどんどん欲しいものが手に入って、ずるい」と思われれば思われるほど、ほんとに努力もしないでどこからか欲しいものがその人には与えられる、ということもあるんじゃないかなと思うんですよ。
よく考えてみたら、毎日幸せだなー!と思いながら暮らしていると不思議とあれこれいろんな人が助けてくれるし、よいニュースもバンバン入ってきたりします。
いろんないいことが最短距離で起きて「あらやだ、神様ったらわたしのこと愛してるのね♡」って思えるくらいです。
逆に考えてみたら、人に対して妬み嫉み恨み辛み僻み(あらやだどうしちゃったのわたしったら)などのネガティブな感情を持ちながら暮らしていたら
そんな人のことを助けてあげたいと思う人ってあんまりいないだろうから、その人はどんどんネガティブな境涯に陥っていくんじゃないかなと思うわけです。
もちろんわたしもポジティブな日ばかりではないので「あーもうあかんわぁー」と思う日もありますが、そんな時はその気持ちに蓋をせず
「そうか、今怒っているんだね」「今、悲しいんだね」「あの人が羨ましいんだね」
と自分自身でその気持ちが存在することをまず認めたうえで、なるべく早めにネガティブな気持ちとはさよならするようにしています。
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いつもゆかりさんのお言葉に励まされます。本当にそうですよね。わたしもネガティブになったときに、自分がいかに恵まれているかを思い返します。
返信削除それにしてもSNSでわざわざあれこれ言うのって自分自身辛くないのかな、と思います。
わたしは大事な人にしかあれこれいいたくない。
だって、あれこれいうのもパワーを使うから。大事なパワーを知らない人に使うなんてもったいないって思っちゃいます。
megさんこんにちはー!今あるハッピーを数えて暮らすと元気になりますよね(*^_^*)
削除そうそう、ネガティブなことをわざわざ言うために書かれたコメントを見ていると、これ書くのに何分くらいかかったんやろー、それやったらお花に水あげるとか空を見るとか美味しいもの食べるために時間を使えばいいのになーと思います(;・∀・) 他人と言い争うために時間を使うのはもったいないですよね。